★坂東三十三観音巡礼記 第十二番 華林山・慈恩寺★




さて、第十一番の岩殿山・安楽寺のお参りではずいぶんを汗をかかされました。

鴻巣駅から大宮まで出て、野田線に乗り換えて豊春駅を目指すのですが、その間は「弱冷房車」を避けて乗ったのは言うまでもありません・・・^^;

さて、今回はのどかな農村風景の中に姿を見せる第十二番 華林山・慈恩寺です^^



この華林山という名前は、最澄の弟子・慈覚大師が日光山の頂上から「仏教の霊場にふさわしいところに落ちろ」と言ってスモモの実を空中に投げたところ、この場所に落ちて芽を出し花開かせたのが由来とか。

また、慈恩寺という名前は、やはり慈覚大師が中国は長安の大慈恩寺で学んだのが由来とか。

かつて、このお寺は本坊で四十二、新坊で二十四を誇った大規模なお寺だったそうです。

なんともスケールの大きいお話です^^

▼豊春駅から歩くこと30分、堂々たる山門が迎えてくれました^^

 


▼境内には参拝客もちらほら見えます^^

 


▼立派な鐘楼。歴史の重みを感じます^^

 


▼本堂の梁の立派なこと・・

 


▼南部鉄灯篭。天正十七年(1589年)と刻まれている。

 


▼御朱印を書いて頂く間、お茶をご馳走になりました^^

 


▼しかも、観音経の経典や昔の絵巻を頂きました^^

 


この本堂から500メートルほど離れた所に、かの有名な三蔵法師・玄奘の遺骨が納められているそうです。

三蔵法師・玄奘(さんぞうほうし・げんじょう)といえば、あの西遊記で孫悟空や猪八戒やサゴジョウ(漢字忘れた)を引き連れて旅をするお坊さんの名前です。

実際の玄奘は、インドから仏教の経典を持ち帰り、それを翻訳したお坊さんです。
その旅行記「西遊記」を面白おかしくするために、後の時代にサルやブタやカッパのお供の話が付け加えられたそうです。

こんな有名なお坊さんの遺骨がある所だなんて知らんかったw
これは、是非いかなくては^^

お寺を出て農村地帯を歩きます。

▼かつてお寺の敷地だった名残が、あちらこちらに確認できます。


 

 


そんな石仏たちを見ながら、かつて栄えたであろう巨大なお寺に想いをはせ、のどかな農道を進みます。


▼目印がなにもないので、地図もなく歩くのは勇気がいります。

 


▼とうちゃく!! 立派な門です。
 中華街の門っぽいですね^^

 


▼もう誰もいませんでしたが、お線香がお供えしてありました^^

 


▼この中に玄奘の遺骨が眠っているそうです。

 


なんでも、戦争中に土木工事をしていた日本軍が偶然発見し、当時の南京政府に届けたところ、分骨してくださったものだそうです。

▼玄奘の銅像。こんな姿でお経をかつぎ、何千キロもの砂漠を歩いたのですね。

 


▼「玄奘法師 西域行路」だそうですが、どこをどう歩いたのかぜんぜん書かれていなかった。

 


▼今回の御朱印も立派です^^

 


今回もいろいろなものを見ることを出来ました^^
このような素晴らしいご縁に感謝し、横浜の自宅へと向かいました^^

ちなみに、この日は30度前後という暑さ。
帰りがけにコンビニで買ったアズキのアイスが、何よりものご褒美となりました^^



慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや
 うかぶ夏島を 見るにつけても


 

  


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